2chまとめの殿堂BLOG

まとめをどんどん紹介していくブログです。

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    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/08/19(土) 16:50:41.47 ID:CAP_USER
    韓国でも日本のおもてなしを――。
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    来年2月の平昌(ピョンチャン)冬季五輪・パラリンピックで日本語ボランティアを務める韓国の大学生ら21人が今月上旬に来日し、高級旅館での接客実習などを通して日本文化への理解を深めた。

    その経験を半年後の本番で生かすつもりだ。

    公益財団法人・日韓文化交流基金(東京)が主…

    http://www.asahi.com/articles/DA3S13094610.html

    http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170819001247_comm.jpg
    接客マナーやおもてなし文化を学んだ韓国人の大学生たち。研修では五輪選手村での選手への声かけの仕方なども学んだ

    【【日韓】平昌にも「おもてなし」を 韓国の大学生、来日し接客実習[8/19] [無断転載禁止]©2ch.net 】の続きを読む

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    1: 野良ハムスター ★ 転載ダメ©2ch.net 2017/08/18(金) 20:25:09.59 ID:CAP_USER9
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    ■30年目の破壊

    1981年にソニーがマビカという今のデジカメの元祖とも言うべき商品の試作品を発表したときの市場の反応も同じだった。将来デジカメの時代が来ると騒がれる一方で、写真の市場はそれからもフィルムを使った銀塩カメラがずっと主流だった。

    1990年代に入った頃、大手フィルムメーカーの役員に、「そろそろ危機が迫っているんじゃないですか?」と訊ねてみたが、そのときも答えは「知ってるよ」「あんなのおもちゃだよ」だった。

    1995年にカシオがQV-10という初のデジカメのヒット商品を発売した。画素数は25万画素まで増え、パソコンに画像が取り込めるのが特徴だった。

    この頃になってようやくトップが危機感を口にするのだが、その意見ですら、「デジカメは発展するだろうが、市場としては高性能のフィルム方式のカメラと、低性能のデジカメが棲み分けることになる」と断言していた。

    みなさんもご存知の通り、「棲み分ける」などという話は幻想で、2000年代に入ってカメラはプロ向けも含めすべてデジカメに置き換わった。世界最大のフィルムメーカーだったイーストマンコダックは2012年に連邦破産法を申請した。マビカが発表されてから30年後である。

    インターネットが商用化されたのが1990年代初期。この当時、流通が劇的に変わると騒ぎになった。旅行会社や書店、窓口で株を販売する証券会社はいずれなくなり、これからはインターネット企業の時代だと言われた。

    2000年にインターネットバブルが起きて、バブルははじけた。

    「インターネット企業なんて所詮幻想だよ」と言われたものだが、20年後の2014年になってみると実際にリアルな書店や中小の旅行会社の方が街角から消えていった。やはりインターネットはおもちゃではなく脅威だったのだ。

    ■イノベーションの技術サイクルは不変

    ここでの問題はAIだ。

    猫と人間を区別できる学習能力を備えたAIが出現したのが2012年だとすると、20年後の2032年には、おそらく人間よりも賢い「AI上司」が人間から仕事を奪う現実の脅威になっているはずだ。

    そしてその5年前、つまり2027年くらいの段階ではまだ人型のAIを人類は「おもちゃだよ」と言って馬鹿にしているだろう。カシオのデジカメがフィルムメーカーの幹部に馬鹿にされたのと同じ現象が起きる。

    実際今から5年前、囲碁や将棋のソフトも同じように人類から馬鹿にされていた。
    「あんなソフトウェアにプロの棋士が負けるはずがない」と。

    仮にソフトが棋士に勝つ日が来ても、それは計算力で勝てるだけで、思考力でAIがプロ棋士に勝つとは誰も思わなかった。技術の進化や学習能力とはそのようなものだ。AIの場合、1年前は幼稚園児並の思考しかできなかったものが1年で人類よりも頭がよいレベルへと変貌する。

    イノベーションの技術サイクルは過去、ペニシリンや化学繊維、コンピュータからロボットまですべてにあてはまってきた。20年後、そして5年後というのは、バカにしていたオモチャが化け物に変貌するまでには十分な期間なのである。

    ■30年後までに50%~90%の仕事が消滅

    オックスフォード大学も、マッキンゼーも、多くの科学者と経済学者も、今からそれほど遠くない未来に50%から90%の仕事がAI(人工知能)とロボットに奪われて消滅すると予測している。

    人類と同等の能力を持つAIが登場する日のことをシンギュラリティ(技術的特異点)という。

    ITの世界には集積回路が指数関数的に能力を上げ、コストが下がっていくという、「ムーアの法則」がある。その法則をより一般化して捉えることで、2005年にフューチャリスト(未来予測の専門家)のレイ・カーツワイルはそのようなシンギュラリティは2045年に訪れるのではないかと予測した。

    2016年はAIにとってエポックメイキングな年だった。カーツワイルの予測に向かってAIの進化がひとつのハードルを越えた。AIが「深層学習」(ディープラーニング)の能力を身につけたことで、最も難解な頭脳ゲームと言われている囲碁の世界で人工知能は人類の思考能力を超えたのだ。





    >>2につづく)

    http://gendai.ismcdn.jp/mwimgs/3/b/640m/img_3bed24ad507dfc84be1777545ef404ca134470.jpg
    http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52465?page=2

    ★1:2017/08/18(金) 19:04:54.66
    https://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1503050694/

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    1: ねこ名無し ★@無断転載は禁止 2017/08/15(火) 08:15:10.70 ID:CAP_USER
     戦後72年にあたる今夏もまた、8月15日に終戦記念日がやってくる。元SEALDs諏訪原健さんはこの日を前に、夏休みの宿題で「戦争」をテーマに作文を書いたことを思い出したという。
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    *  *  *
     小学校高学年くらいの頃、夏休みの宿題で「戦争」を題材に作文を書くことにした。予科練だった祖父に戦争体験を聞いて、「戦争」について感じたことをまとめていったのだが、締めの言葉が思いつかない。考えることに疲れた私は、とってつけたように、次のような文を書いて作文を完成させた。

     「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和があることを忘れずに生きていきたい」

     どこかで聞いたことのあるような、ありふれた言葉だった。それでも随分と高尚な作文が書けた気がして、自分としては満足だった。何より夏休みの宿題を終わらせることのほうが重要だった。

     そんなこだわりもなく書いた文章が、長きにわたって、私の思考様式として頭に染み付いていた。「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和がある」というのは、私にとってはごく当たり前のことだった。しかしその考え方は、「戦争」について知ろうとすればするほど、もろくも崩れていくことになる。

     きっかけのひとつは、2016年11月に沖縄・読谷のガマを訪れたことだ。83人もの人が「集団自決」に追い込まれたガマに目を凝らしながら、ここにいた人々に思いを馳せる。それぞれの人にかけがえのない人生があったはずだ。もっと生きたいと強く願いながらの死だったかもしれない。

     考えれば考えるほど、「みなさんの尊い犠牲のおかげで、今の平和があります」なんて言葉で片付けることなど到底できないと思った。

     翌月、中国・南京の大虐殺記念館に足を運んだ。「万人坑」と呼ばれる場所には、殺害された人々の遺骨が無造作に折り重なっている。中にはまだ子どもと思われるものもある。遺骨を見ながら、私は「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和がある」という言葉を思い返していた。彼らも「戦争」によって命を奪われたことに変わりはない。

     しかし自らが「尊い犠牲」という言葉を用いる時、この人たちのことが抜け落ちてしまっていたのではないか。そう考えると、遺骨に目を向けているのがつらくて仕方なかった。

     帰国してからしばらく経って、伊藤智永さんの『忘却された支配』という本を手にとった。この本の中で、伊藤さんは、「戦争犠牲者は戦後の平和と繁栄の礎だった」とする言説を「礎論」と名付けて批判する埼玉大学の一ノ瀬俊也教授の知見を用いながら、次のような言葉を綴っている。

    「戦争の死者たちは、自分がこの業苦を受忍すれば、死後の日本は平和に栄えるはずと信じて死んだのか」

    「戦後は、尊い犠牲のお陰で築かれたのではなく、無数の不条理な死にもかかわらず、別の国の新たな戦争景気で潤い、図らずとも幸せを享受してしまった。『礎論』は、生き残った者たちがやましさを取り繕い、因果をすり替えて唱和しているのではないか」

     私はこの文章を読んで、頭をガツンと殴られたような気がした。私自身は「やましさ」があって、「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和がある」と考えていたわけではない。しかし戦争で命を失った人々を「尊い犠牲」としてまつり上げていたことに変わりはない。

     しかもそこでは、無意識のうちに「日本人」ばかりに目が向いていた。そのことを改めて突きつけられた気がして、これまでの自分を恥じずにはいられなかった。

     伊藤さんの言葉を引き受けながら、自分なりに考えたことがある。それは、「たくさんの人々の尊い犠牲の上に、今の平和がある」という思考は、過去の「戦争」という出来事を見えにくくするだけでなく、現在を生きる私たちと「戦争」とのつながりを見えにくくしてしまうのではないかということだ。

     戦争による「傷」に苦しめられている人は、今日に至っても多くいる。「戦争」が敗戦とともに終わりを迎えたわけではない。目には見えない形で「戦争」は続いている。

     原爆や在日米軍基地、在日コリアンへの差別などの問題を思い浮かべれば、そのことは容易に理解できるはずだ。

    https://dot.asahi.com/dot/2017081400008.html

    >>2以降に続く)



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